パターンマッチングマン

この正月休みにルービックキューブを久しぶりにやったら、終盤の手順を忘れていて完成目前で失敗してしまった。 何度かやって、急がずにやればふたたび3分程度で解けるレベルに戻ったようだ。

昔、友人に「ルービックキューブの解放なんてパターンを覚えるだけだよ?」と言われ「やり方を覚えても自分でその解法に辿りつけないなら、そのパターンを覚えてもその人の知力の証明にならない」と意地を張っていたことを思い出した。 結局、自分の力では全面揃えることなんてできなかったのにもかかわらず。

しかし去年何人かの優秀だと感じる知り合いがルービックキューブをスラスラと解くのを見た時に考えを変えることにした。

自分で考えている、考えていない、その解法の意味を理解している、理解していないは別にしてまずはできるようにならないと勝負にならない。 勝負できるような段階になってから、きちんと理解していけばいいのだろう。

序盤の手順については、理屈もわかって自分でアレンジしながら説くことができるようになってきたが、最終盤の手順はまだ「局面Aのときに手順Xを行うと解ける(ブロックがどう動いているかはよくわからない)」という状態のままだ。 それでも、「ルービックキューブぐらい3分もあればどこからでも全面揃えられるよ」とかいうと、その分野について何も知らない人は「へぇー」と反応してくれるので多少自尊心がくすぐられる。

勉強でもプログラミングでも何でも、ある一定のレベルまではパターンマッチングで到達できるという話があった気がするし、達人はそもそも右脳によるパターンマッチングで状況判断をしているという話もある。

実は最後まで自分で考えることって大事だと思っていたけど、そうではないのかもなという(自分にとって)斬新な価値観が頭をもたげる。

「この局面、実際にはどのような構造になっていてベスト解は何か…?」みたいなのは会議でもプログラミングでもルービックキューブでもよくある戸惑い。 自分はそこでいつも「詳細まで理解してないのに、自分自身の頭で考え抜いていないのに結論を出して動いてしまうのは不誠実ではないかな」と立ち止まってしまう。

けれど、自分が立ち止まっている間にも優秀な人は(きっといくつかの失敗もしながらも)パターンマッチを駆使しながら前進していっている。

今年は自分もパターンマッチングマンとして、深く考えずに、世間の定石に乗りながら、生きてもいいのかも。

と、特に理由もなく感じている。